愛媛県議会議員の  庶民派・元気派・さわやか派  石川みのるが見て歩き、いろいろな思いを語ります。
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 昨日は新居浜でMさんとMさんの親戚や同級生の家に挨拶回り。

 途中、偶然小生の義務教育時代の担任の先生のお宅に。この先生には学校では随分とお世話になった。今は退職をされ、悠々自適の毎日。お元気そうで何よりだ。

 この日、先生はわざわざ小生を家に上げ、ご自身でコーヒーを入れてくれた。

 そして、身に余る激励を頂き、先生自身も精一杯応援をするとの「決意」を表明してくれた。ありがたい限りだ。

 ただ、小生の「弱み」を沢山知っているだけに恥ずかしい思いは否めない。


 11月の5日に新居浜で壮年(40歳以上)の四国大会があるというので、夜は北中で久々のナイターの練習に参加して、心地よい汗をかいた。

 このチームは若い人で構成をし、県下でも屈指の強豪チーム。

 アップでたっぷりと汗をかいて、若い人と思い切りキャッチボールもさせて貰った。

 小生位の歳になると、80メートルを投げればどうしても山なりのボールになるが、若い子は低い球筋で心地よい音を立てて小生のミットに。悔しい。

 少し劣等感を抱くが、それでも「51の歳でここまでの距離を投げれるんだから、まあ良しとしよう」と自らを無理やり合理化させて若い子に挑んだ。そして、ノックも受けた。

 でも、気持ち良かった。ホント、若いって良いよなあ。

 何も世間のことを考えずに好きな野球で汗をかく。この時間ばかりは生きていることを実感できる空間だ。

 平和と健康に感謝、感謝
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【2006/10/27 10:08】 | 未分類
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教育から共育へ
津田博幸
 年を重ねるにつれて、恩師の方々が今年も一人、また一人と亡くなられていく報に接すると、あれほど嫌だった勉強も「もう少し真面目にやっておくんだったなぁ」と後悔してしまいますv-409

 今現在元気なお姿を拝見できる先生は、中学2年の時の担任で、英語と体育を教えてもらっていた先生。

 ある時、英語の授業が終わり、次が体育の時間。先生曰く「体育は何すりゃぁ?(何をやろか、という意味です)」、「i-25サッカーがええ!」誰かが答える。「よっしゃ、やるか!」v-438

 今なら校長から厳しいご沙汰があるところだろうが、あの時代はそんなもの無かったのだろうか。それとも校長より偉かったのかi-230

 思えばあの頃の先生は、誰をみても一癖も二癖も持っているような、破天荒というかユニークというか、先生らしくないというか、そんな先生が多かったi-238

 体育の時間にふざけていたらシューズでひっぱたかれたりi-240、美術室の手洗い場で石鹸を切り刻んでいたら往復ビンタが飛んできたりi-238、理科の時間にコンセントにピンセットを突っ込んで火花を飛ばしたらゲンコツが飛んできたり…i-237

 だけど不思議とそういう先生とは仲良くなれた。悪いことをしたのは自分なのだから、怒られるのが当たり前だ。それを本気で怒ってくれたから、今の自分があるのだと思うv-410

 先生と生徒の信頼関係は、案外そういうところから芽生え、深まっていくのではないかと、あの時代から遠く離れてしまった今頃になって悟ったりする。

 今また、前の国会で継続審議となった教育基本法を改悪しようと動きが早まっている。

 心の問題を法律で定めることが、憲法で保障する思想信条の自由に反するのは言うまでもない。

 法律は行為の在り方を定めるが、心の在り方を決めるものではないはずだ。

 そもそも、今、改正しなければならない必要性があるのだろうか。大いに疑問だ。

 今やらなければならないのは、先の大戦の惨禍を二度と繰り返さないという、「世界人権宣言」の強い意思を反映し、戦後の国際人権法が定められたように、この精神にたって制定された日本の教育基本法の理解をもっと深め、さらに実践していくことではないだろうか。

 「いつも笑顔で 平和に暮らしたい」 その思いは「日本国憲法」とともに「教育基本法」なくして、生まれはしない。

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教育から共育へ
 年を重ねるにつれて、恩師の方々が今年も一人、また一人と亡くなられていく報に接すると、あれほど嫌だった勉強も「もう少し真面目にやっておくんだったなぁ」と後悔してしまいますv-409

 今現在元気なお姿を拝見できる先生は、中学2年の時の担任で、英語と体育を教えてもらっていた先生。

 ある時、英語の授業が終わり、次が体育の時間。先生曰く「体育は何すりゃぁ?(何をやろか、という意味です)」、「i-25サッカーがええ!」誰かが答える。「よっしゃ、やるか!」v-438

 今なら校長から厳しいご沙汰があるところだろうが、あの時代はそんなもの無かったのだろうか。それとも校長より偉かったのかi-230

 思えばあの頃の先生は、誰をみても一癖も二癖も持っているような、破天荒というかユニークというか、先生らしくないというか、そんな先生が多かったi-238

 体育の時間にふざけていたらシューズでひっぱたかれたりi-240、美術室の手洗い場で石鹸を切り刻んでいたら往復ビンタが飛んできたりi-238、理科の時間にコンセントにピンセットを突っ込んで火花を飛ばしたらゲンコツが飛んできたり…i-237

 だけど不思議とそういう先生とは仲良くなれた。悪いことをしたのは自分なのだから、怒られるのが当たり前だ。それを本気で怒ってくれたから、今の自分があるのだと思うv-410

 先生と生徒の信頼関係は、案外そういうところから芽生え、深まっていくのではないかと、あの時代から遠く離れてしまった今頃になって悟ったりする。

 今また、前の国会で継続審議となった教育基本法を改悪しようと動きが早まっている。

 心の問題を法律で定めることが、憲法で保障する思想信条の自由に反するのは言うまでもない。

 法律は行為の在り方を定めるが、心の在り方を決めるものではないはずだ。

 そもそも、今、改正しなければならない必要性があるのだろうか。大いに疑問だ。

 今やらなければならないのは、先の大戦の惨禍を二度と繰り返さないという、「世界人権宣言」の強い意思を反映し、戦後の国際人権法が定められたように、この精神にたって制定された日本の教育基本法の理解をもっと深め、さらに実践していくことではないだろうか。

 「いつも笑顔で 平和に暮らしたい」 その思いは「日本国憲法」とともに「教育基本法」なくして、生まれはしない。
2006/10/27(Fri) 18:37 | URL  | 津田博幸 #-[ 編集]
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