愛媛県議会議員の  庶民派・元気派・さわやか派  石川みのるが見て歩き、いろいろな思いを語ります。
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 2011.10.26 海の中道海浜公園 ネズミ科の…1

 早いもので、11月。

カレンダーもこの月を入れてあと2枚のみとなってしまいました。
 
 さて、10月31日に愛媛県議会野球同好会が松山南ロータリークラブと練習試合を行いました。

2011.10.26 海の中道海浜公園 ネズミ科のカピバラ2

 ロータリークラブといえば年配者ばかりと思っていたら大間違いでした。

 若くて野球の上手な方がたくさんいましたし、このクラブは朝練習もしている大の野球好きのクラブとか。

2011.10.26 海の中道海浜公園 ネズミ科のカピバラの3

 小生はこの日、ピッチャーをしたのですが、松商野球部出身の青年に特大のホームランを打たれたりして、6失点。

 もっともエラーなどもあって、自責点は2点だったとは思いますが。

 少しプライドが傷ついたほろ苦い一戦となりました。

2011.10.26 海の中道海浜公園 ボリビアリスザル

 本日の画像は、先日に続いて海の中道海浜公園の動物たちを紹介します。

 そして、9月議会で小生が質問をした緊急消防援助隊に対するリアクションもあるみたいなので、質問現行をアップしました。

その中身を見ながら緊急消防援助隊に対する評価をして上げてください。

2011.10.26 海の中道海浜公園 ボリビアリスザル2

 震災発生から6カ月余が経ち、未だ本格的な復旧・復興の槌音が聞こえず、原発事故の収束の目処も立たない中、私自身忸怩たる思いを否めません。
 さて、今回の東日本大震災では緊急消防援助隊も大きな役割を果たしました。
 
緊急消防援助隊は、阪神淡路大震災の教訓を踏まえ、大規模災害の発生時に全国の消防機関が相互の援助体制を構築するため、1995年6月に、総務省消防庁により創設されました。

 その部隊の内、指揮支援部隊は、ヘリコプターでいち早く被災状況を確認し、国・総務省消防庁や県との連絡調整、現地の消防機関の指揮支援を行い、主に政令指定都市の消防本部がその任務にあたります。
 
 また都道府県部隊は、指揮支援部隊の指揮のもと、被災現場での最前線での活動が主となり、都道府県ごとに部隊が組織され、全国規模の応援体制を確立しており、2011年4月1日現在、全国で4,354隊の部隊が登録され、愛媛県隊は県下14消防本部すべてから、60隊、ヘリコプターや消防自動車、救急車など総勢232人の隊員で構成されているのであります。

 今回の震災では、発生翌日の3月12日、7時45分に、消防庁長官より本県消防防災航空隊への出動指示があり、1隊7人が松山空港を離陸、午後には応援先の福島空港へ到着しました。

 愛媛県航空隊は13、14日と捜索救助活動を実施し、宮城県亘理町において2名を無事救助しましたが、その後、福島原発の事故により退避を余儀なくされ、3月15日に帰県しました。

 また、発生から3日後の3月14日、11時25分には、消防庁長官より緊急消防援助隊陸上隊への出動指示があり、愛媛県隊34隊、112人は松山自動車道・上分パーキングエリアに集結。

 17時10分に緊急消防援助隊愛媛県隊の発隊式、県知事に報告。このようにして緊急消防援助隊、愛媛県隊としての初派遣は、片道約1,300㎞もの遠隔地に向けての出動となりました。

 陸上隊が出発した翌15日には、静岡で震度6規模の余震、福島原発の爆発事故による待機命令、給油の不安、積雪、路面陥没、通信の困難性、放射線の検知、東北自動車道でのパンク、2台の車両の緊急修理など様々な悪条件を克服しての移動となり、結局、活動先の岩手県に到着したのは、出発から3日目の夜になったのであります。

 現地は寒さが厳しく、愛媛県隊は体育館を拠点にし、町民の方々の心温まる炊き出し支援を受けながらの活動でありました。

 現地に赴いた隊員が目にした光景は、土砂、材木、鉄骨、車、工場や住宅の残骸など、地上のすべてのものが堆積した状態であり、街並みがなく、タンカーが乗り上げ、見渡す限り瓦礫と土砂、町は壊滅状態、想像をはるかに超えた地獄絵巻の様相を呈し、まさに生の世界から死の世界にやってきたとの印象を持ち、生きている人がいること自体が奇跡以外の何物でもないと感じたそうであります。

 今回の愛媛県の陸上隊は3月14日~3月21日までの8日間派遣され、その内、岩手県釜石市において人命救助活動などを実施し、現場活動期間は2日間となりました。

 現場では情報が殆んどない中、人海戦術による検索を行い、結果、2日間で10人を発見したものの、救出、生存者の発見は果たせなかったそうであります。
 
 救急隊は、救急車10台で、被災地住民の傷病者を市内の病院から片道50kmから100kmの道のりの市外病院に搬送し、被災現場での人命検索に当たっている消防隊の活動支援も行い、2日で9件の出動があったそうであります。
 
 全国の緊急消防援助隊は、3月11日~6月6日までの88日間で、延べ2万7千544隊、10万4千93人が出動し、5,064人を救出しました。因みにこの震災では現地の消防職員の死者・不明者が27人、消防団員の死者・不明者が253人となったのであります。

 今回の派遣で隊員が見聞きしたこの上ない悲しみ、残念な事の一つとして、昨年オープンしたばかりの釜石市鵜住居(うのすまい)地区防災センターの事例が挙げられます。
 釜石市が、被災者が中長期的に滞在する拠点に指定していた防災センターには釜石市消防本部の出張所もあり、地域の防災拠点でしたが、その防災センターは全く機能を果たすことなく壊滅し、同センターに避難していた約100人の内、68人の方が死亡する悲惨な結果になったそうであります。

 一方、これだけ被害が甚大であった釜石市でも、津波襲来時において学校の管理下にあった中学生、小学生の生徒・児童は、これまでの訓練や当時の的確な判断などもあり、一人の犠牲者も無く、全員無事であったという「釜石の奇跡」も報告をされているのであります。


 そこでお尋ねを致します。

 今回初めて派遣された県の緊急消防援助隊に対する評価はどうか。

 また、派遣に際しての課題は何であったのかお聞かせ下さい。

 併せて、今回派遣された緊急消防援助隊の極めて貴重な経験等を県の災害対策に生かすべきと考えますがご所見をお聞かせ下さい。


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【2011/11/02 07:47】 | 未分類
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