愛媛県議会議員の  庶民派・元気派・さわやか派  石川みのるが見て歩き、いろいろな思いを語ります。
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表

 いよいよ明日の24日には第22回参議院選挙が公示されます。

 このブログもその為に公職選挙法の関係で様々な制約が加えられ、明日以降は参議院選挙に纏わる候補者名、政党名の記述はNG。

従って、今までブログの右側に配していた「吉田ただとも」さんの画像も今宵限りで削除する羽目になりました。

10.5.3 高砂庵4


小生は昨日、今日と公示前に配布をしておかなければならない小生の県議会報告を配らなければならない所には最大限配布をしようと思って、市内各地を奔走しました。

昨日は旧三島に行かなければならない用務もありましたが、120キロを走り、今日も新居浜市内を80キロ走りました。


 配布先一覧の表を見ながら頭の中で道順を描くのですが、これが思うように行かず、行ったり来たりの連続ですし、途中でお宅に上がって、話し込んだりもしたり、途中に他の用務、電話が入ったりして思うようには捗りません。

10.5.3 高砂庵5

 ストレスと腹に脂が溜まるだけのような感さえあります。

 それでも取りあえず、事故なく、元気に走れたことに感謝しなくてはなりませんかね?

 明日の午前は議会報告の配布の続き、午後から松山、夕方には宇和島、そして25日には西条経由で新居浜へ。

10.5.3 高砂庵6

 頭の中が混乱してしまいそうです。

 否、そんなことを言ってはいけません。

 明日からは更に気持ちを引き締めて「吉田ただとも」さんの勝利、社会民主党、社民党の前進のために最大限の努力をします。

 で、今宵の画像は「吉田ただとも」さんの画像と色彩豊かな高砂庵の画像です。

10.5.3 高砂庵7

東洋のマチュピチュ(東平)の質問原稿

 1911年、7月24日、イエール大学のハイラム・ビンガムは、ペルーのウルバンバ谷に沿う、標高2,000メートル余の高い山の尾根に、よく保存されたインカの遺跡を発見しました。

 この遺跡は、山裾からはその存在が確認されず、「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと呼ばれるその遺跡は、現地語で「老いた峰」を意味する「マチュピチュ」であります。

 そして、最近では新居浜市にある標高760メートルの旧別子銅山・東平地区に存在する石積みの貯鉱庫や選鉱所、索道基地跡などは、その威容から「天空の歴史遺産」「東洋のマチュピチュ」と称されるようになったのであります。幸いこの4月28日には、県が7年の歳月と39億円の事業費を投じて完成した県下最大のループ橋である青龍橋(はし)が完成し、その効果と相まって、ゴールデンウイークでは昨年と比較して、実に3倍以上の5,200人以上がこの地を訪れたのであります。

 旅行会社によって、以前は「四国のインカ」とネーミングされていたのですが、この「東洋のマチュピチュ」というネーミングと期を一にするかのように一躍脚光を浴び、人気が急上昇しているスポットであります。

 別子銅山は元禄4年、1691年に開坑し、1973年に閉山するまで283年間にわたり採鉱を行い、約65万トンの銅を産出していたのが今日の住友金属鉱山であり、鉱山で使用される機械類の生産・修理の部門を担うために住友重機械、精錬時の亜硫酸ガスの処理のために住友化学、関連会社に電気を供給するために住友共同電力、山を管理し、坑木や木炭の生産をするために住友林業がそれぞれ興され、世界への銅の供給、そして日本の経済にも大きな貢献をし、今日の住友の礎を築いた銅山であることはご案内の通りであります。

 鉱山の坑道の長さは700キロメートル、深さは海抜マイナス1,000メートル。この深さは我が国で人間が到達した最深部なのであります。
 
 この鉱山の一連の施設としてあったのが東平地区の「東洋のマチュピチュ」と言われている東平地区であり、東平地区は、1916年から1930年までの間、採鉱本部が置かれ、それに付随し、社宅、学校、演劇場、接待館なども完備され、往時には3,800人の人口を擁していました。

 1936年にこの接待館を訪れた土井(どい)晩翠は「東平の 山ふところに石楠の 花眺めつつ 鶯を聞く」と詠んだのであります。

 いわゆる産業遺産は英語で「Industrial Heritage」と言われ、我が国では10数年ほど前から調査・研究が始まりました。

 この「東洋のマチュピチュ」を始めとする別子鉱山における産業遺産群は、関連する施設、道路、鉄道、港湾、学校、病院、社宅などがあり、例えば、現存する国内最古の鋼アーチ橋である遠登志橋(おとしはし)。

 わが国屈指の山岳鉱山鉄道である旧別子鉱山鉄道の端出場鉄橋、端出場隧道。製鉄・化学工業の実用化を目指した

 最先端工場の旧山根製錬所煙突。社員の労働奉仕でできた山根競技場観覧席。初代新居浜市長が残した共存共栄のシンボルの武徳殿。工都新居浜の接待館であった旧泉寿亭特別室棟。

 新居浜の登録有形文化財第1号である旧住友銀行新居浜支店など、四国山地の標高1,300メートルの地点から新居浜の沖合20キロメートルに浮かぶ四阪島の間に数多く存在し、施設の保存も良く、当時の図面、写真などの記録が豊富に残っています。

 これら産業遺産の一つ一つは、まさにその生産に関わっていた企業と数多の人々の血と汗と涙の結晶であります。

 この産業遺産群は、2007年には経済産業省からも日本を代表する「近代化産業遺産群33」の認定を受け、新居浜市広瀬歴史記念館の末岡照(てる)啓(あき)名誉館長は、「地域社会と1私企業が300年以上にわたり共存・共栄している事例は広く世界を見渡しても珍しく、世界に知られた鉱山の産業遺産であり、我が国の産業革命を雄弁に物語り、21世紀の環境問題を先取りし、昭和初期の都市計画を物語る産業遺産として、その規模と歴史的時間の長さは世界的規模である」と、その世界史的意義を述べられているのであります。

 そこでお尋ねを致します。

 「東洋のマチュピチュ」を始めとする世界的規模と言われるこれらの貴重な産業遺産について、観光資源として最大限に保存、活用すべきと考えますが、県はどのような認識を持ち、今後どのように関わろうとしているのか併せてお聞かせ下さい。

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【2010/06/23 22:24】 | 未分類
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