
あれから2年が経ちました。
2年前のあの日は2月定例県議会の最終日。
控室で何気なくテレビのスイッチを入れると、津波が町を飲み込む映像が映し出され、映画を見ているようでしたが、時間の経過とともに事態が理解できるようになりました。
この3.11の直後の6月議会で小生は代表質問に立ちました。
その時の前文を今、改めて見てみると、

「2月定例議会が終わったその日、3月11日に控室で何気なくテレビのスイッチを入れると、そこには今まで見たことのない巨大な津波が、船を、町を、田畑を、そして動く車を情け容赦なく次々と呑み込んでいく様が映し出されていました。
それはこの世の、ましてや日本の情景とはとても思えませんでした。
これはマグニチュード9.0という日本の観測史上最大の地震による津波であり、まさに自然の脅威というものをまざまざと見せつけられたのであります。
被災された皆様には心からのお見舞いを申し上げ、犠牲となられた皆様には心からご冥福をお祈り致します。
今回の震災による死者・行方不明者は約2万4千人、震災発生から100日余が経った今なお、8万人余の人たちが不自由な避難生活を余儀なくされています。
今回の震災の特徴は地震と津波だけではなく、福島第一原子力発電所の大事故であり、地震と原発事故が複合するいわゆる「原発震災」となり、事態を一層深刻化させているのであります。

原発事故により仕事場を失い、家族が離れ離れになり、期限の定めもなく、地域の絆が破壊され、避難生活を余儀なくされている被災者の暮らしはどうなのでしょうか。
出荷停止を命じられ、生産物を廃棄しなければならない農水畜産物の生産者の思いはどうでしょうか。
地震や津波の犠牲となった亡骸さえ収容できない遺族の思いはどうなのでしょうか。」
とありました。
ああ、あれからもう2年が経ってしまいました。
まだ、原発での事故は終息していません。
そして、福島での震災による直接死は約1,600人。
一方、震災関連死は1,300人。
この1,300人の中には原発事故が無ければ、原発が無ければ失うことのなかった命が沢山あります。

さて、本日の画像は3月10日に松山での集会のものと3月11日に新居浜で行われた愛媛マンダリンパイレーツの新居浜後援会の交流会のものです。
小生と今年も活躍が期待される大井裕喜選手、星野監督です。
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