愛媛県議会議員の  庶民派・元気派・さわやか派  石川みのるが見て歩き、いろいろな思いを語ります。
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 2002.10.15 結成総会ブログ用

 11月5日の午後からは約200キロの道のりを駆けて、愛南町・一本松にある知的障害者更生施設のいちごの里へ。

 同じ愛媛県内にありながら200キロもあり、小生がこの施設と関わり始めた約10年前はまだまだ大洲以南の高速道路が未整備だったために時間にして約3時間半を要していました。

 今は大洲道路と56号が立体で交差するようになったのを始め、大洲から西予宇和、宇和島北を経て、津島高田まで自動車専用道路で繋がり、今では2時間40分ほどで行くことが可能となりました。

 いちごの里との関わりの中で、この世にこれほどひどい職場があったのか、県内と言えどこれほど遠い所があったのか、また人間の強さ、優しさを再認識することが出来ました。

 この施設が開所したのが1998年で、県からの特別指導監査が直ぐに入るような、杜撰な施設運営が続き、一方では職員にはこの世のものとは思われないような扱いが続き、連合愛媛の「何でも相談ダイヤル」に助けを求め、たまたま自治労愛媛県本部の専従をしていた小生が担当することになりました。

 職員は前歴、年齢に関係なく一律148,000円の賃金で、超勤手当は「ボランティア」と称して、一切支払らわれず、個人の所有地を職員と利用者に開墾させ、猛暑の中での切り株との闘いを強い、挙句の果てには、そこでやっと生産できるようになったその農産物は、ある団体の所有物となって、施設に納入され、その売り上げはその団体に。

 始末書、わび状、顛末書、謝罪を次々と強要し、大の大人を正座させて書かせ、「職員は勤務時間外では職員同士は会わないように」「懇親会の席では席を立たず、動かないように」とのお触れまで出ていた。

 職員を利用者が行きかう廊下で長時間にわたって罵り、事あれば退職、解雇をちらつかせ職員を徹底的に服従させていた。

 これらの蛮行は枚挙に暇がない。

 事実、設立当初の2年間だけで2人が解雇され、9人が職場を去っていった。

P1010684.jpg

 職員は毎日辛い日々を送り、もう職場を辞めたいとの思いが募り始めるが、ここで辞めれば①これらの不当な攻撃を肯定してしまう結果となる。②これまで心を通わせ、育んできた利用者と別れてしまう。③もし自分が辞めても次に入ってくる職員が再び理不尽で不当な扱いを受ける、ことなどを考え、藁にもすがる思いで相談に来た。

 そして、水面下で組合結成を準備していたが、様々な困難を乗り越えて、ついに2002年10月15日に「自治労いちごの里職員労働組合」が結成され、愛媛の最南端の片田舎に自治労の旗が立った。

 当初は数人の結成かと思われたが、職員の内殆どの18人が組合結成に参加し、思わぬ誤算に涙したのが10年前となりました。

 しかし、組合を結成して全てが解決したのではなく、新たな茨の道があり、職員、組合員に対する執拗な攻撃が続く。

 が、そのような攻撃も組合の団結、自治労の指導・支援の中で徐々に跳ね返し、今では当時比べて比較にならない「平和」を勝ち取った。

 彼ら、彼女らのこの10年の運動は個別、愛媛に留まらず、全国で苦悶する仲間の光になったと思う。
自立した労働組合として、団体交渉も行い、労働協約も締結するようになり、今では組合員も徐々に増え、今では25人にまでなりました。

 この10年で定年退職した仲間、体調不良で泣く泣く退職した仲間、不本意にも去っていった仲間、次々と変わった施設長、あの時流した悔し涙、うれし涙、幾多の困難、数え上げればキリがない…。

 この10年に思いを馳せると目頭が熱くなってくる。

 そして、小生自身もこの仲間との関わりで色々と教わり、成長させて貰った。

 「本当にこの10年みんなで頑張ったね。」「そして、次の10年は輝ける笑顔の10年にして貰いたい。」そんな言葉を自治労いちごの里職員労働組合の一人一人の組合員に送りたい。

 写真は10年前の結成総会の写真と翌年の写真。

 小生も若かったなあ。
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【2012/11/07 09:09】 | 未分類
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