
ここ数日は怒涛のような日を過ごしました。
11月17日の夜は東予港からのフェリーに乗って、奈良県橿原市の奈良県立橿原球場、ネーミングライツで言うと佐藤薬品スタジアムへ。
ここでは第2回おじいちゃんの甲子園大会の予選が開催されました。
わが新居浜ビクトリーズは四国での3試合を勝ち抜き、ここ奈良で2試合に勝てば来年の11月に行われる甲子園での大会に出場する権利を得ます。

しかし、小生は13日の練習で右ふくらはぎを痛め、歩くのもままならない状態になっていました。
そこで、頼むべきは東予鍼療所での針とお灸。
朝に夕に通って特急の治療で何とか歩けるようになり、そして、試合前にロキソニンを飲んで本番に臨みました。
初戦は地元奈良のオール高取寿チームに10:0の4回コールド勝ち。
しかし、翌日は雨で順延。
この週末に文化祭などの多くの行事があり、心の中では大きな葛藤がありましたが、甲子園がかかった試合に出ないわけにはいかず気持ちを整理して、翌日の試合に備えることに。

大きな穴が開いた19日は約30キロ離れた室生寺、そして曽爾高原を訪れ、目の保養と体の休養に。
室生寺の紅葉は見事で、まるでテレビの宣伝に出そうな光景が眼前に広がり、同行したチームメートも同様の感嘆の声。
小生が撮った写真もなかなか好評でした。
そして、宿泊は財政状況が厳しいので、ホテルでの宿泊をあきらめ天理市内の健康ランドで一夜を明かしました。
大勢がいる中で人の気配、いびき、気温などで熟睡には程遠い状態で、20日には宇陀市の室生球場で世紀の一戦を迎えました。

相手は香川県の瑞祥爛漫クラブ。
どの選手もバットが振れており、聞きしに勝る強豪チーム。
それでも笹田投手の力投で相手打線をを3安打散発に抑えて、一試合目に続いて完封。
打っては小生が膠着状態を打ち破る左中間への2ランランニングホームランで先制し、その後も幸運な1点を加えて、済んでみれば3対0の二試合完封で甲子園出場を果たしました。

試合が済んで小生のプリウス君はほかのメンバーが乗るマイクロバスとは別に一路新居浜へ。
4時間余り、約350キロを駆けて7時過ぎには帰宅。
奈良での2試合は会心の試合で、小生もそれなりの役割を果たせて一安堵。
それにしても右足が試合に間に合ってよかったですね。
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早いものでもう11月となり、今年もあと2か月となりました。
祭り、祭りと言っていたのに過ぎ去ってしまいました。
祭りが済んですぐに特別委員会、常任委員会、そして24日からは常任委員会でつくばや東京への視察。
あっという間に時が流れて行ってしまいます。
10月最後の31日、マンダリンパイレーツ新居浜後援会が主催する優勝祝賀会がリーガロイヤルでありました。
愛媛マンダリンは昨年に続いて四国では優勝を収めましたが、日本一をかけた戦いでは負けてしまい、2連覇はなりませんでした。
そのマンダリンパイレーツを指導してきたのが今年3年目となる弓岡敬二郎監督。
1年目の前期が最下位の4位でしたが、それからはその指導力が発揮され、後期は2位に躍進。
そして2年目の前期が1位、後期も1位となり総合優勝。
さらに3年目の前期が1位、後期も1位で総合優勝。
つまり4期連続で優勝を果たしたことになります。
今年で13年を迎える四国アイランドリーグですが、これほどの結果を残した監督はいなかったのではないかと思います。

しかし、この弓岡監督もその実績と指導力が買われたのでしょう、今度オリックスバファローズの育成統括という人を任されることになりました。
従って、マンダリンパイレーツの監督としては今年限りとなり、11月の中頃からは新天地に赴任されることになるそうです。

弓岡監督は東洋大姫路高校出身で、小生の出身大学の関西大学の後輩で元大阪ガスの浦口君と同窓。
そんなこともあって、弓岡監督とは懇親会の席で関西弁での会話に花が咲きました。
さて、これからもその経験と指導力で若い選手の才能を十分に引き出し、開花させてほしいと思います。
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