
はやいもので、今年もあと8日を残すのみとなりました。
このブログも忙しさにかまけて、ひと月あまり更新をしていませんでした。
年末年始を控え、掃除や年賀状作りなど、それぞれが日常と違った慌ただしさを感じておられることと思います。

小生もそれ以上にこの時期にやっておかなくてはならない一つに議会報告の新年号の作成があります。
今年はカレンダーの関係で24日の午前には納品してもらう必要があり、そのためには19日に校了ということで、16日には入稿して、校正を繰り返しました。
そして、明日には納品となり、発送、配布に取り掛かります。
この新年号には11月、臨時県議会、12月定例県議会の報告が掲載され、特に新居浜のインフラ整備について記しています。
県立高校の耐震化、11号バイパス、郷―桧端線、西町、中村線…。
写真は新居浜市が進める角野船木線で、今年度に約4億6千万円を投じ、今年度中に第2工区の693メートルが開通し、大地工区の327メートル、第3工区の680メートルと全1,700メートルが開通する予定です。
この道路が開通することで新居浜インターチェンジからマイントピアまでは距離的にも時間的にも大幅に短縮されることになります。
また、山根グランドでの祭りに際し、太鼓台、人の流れも変わり、利便性が向上するのではないかと思います。
こんご、市の事業としては上部東西線の西進が期待されます。

さて、12月18日には「伊方原発停止・廃炉」愛媛・大分・山口共闘会議の総会と薦田弁護士による記念講演が行われ、翌19日には愛媛県と四国電力に申し入れを行いました。
以下にその申し入れ文書を掲載しますので、参考にしていただければ幸いです。
2016年12月19日
四国電力取締役社長
佐伯 勇人 様
「伊方原発停止・廃炉」愛媛・大分共闘会議
代表 松本 修次
々 逢坂 節子
々 山本 新彦
々 内田 淳一
々 清田 昌助 々 岡本 博之
々 佐々木明美
伊方原発に関する申し入れ
日頃より四国4県の電力の安定供給に尽力されておられる貴職に対し、敬意を表します。
さて、2012年1月の伊方原発全基の停止から約4年7カ月経った2016年8月12日、伊方原発の3号機が再稼働し、そして9月7日に営業運転を再開しました。それは3号機が2011年4月29日に停止して5年4か月後でした。
一方、2011年3.11の東京電力福島第一原発事故から5年9カ月経った今も原因究明ができているとは言い難い状況にあります。
例えば汚染水の根本的な解決の目途は立っておらず、その事故処理は当初の倍を超える額が21.5兆円~22.6兆円と試算されるなど、今後この数字がどのように拡大されるか、そして、それを誰がどの割合で負担しなければならないのかは極めて不透明で、その数字をにわかに信ずることなどできません。にもかかわらず国は、100%安全でない原発を「安全」で「安価」と言い切って高浜、川内、伊方と再稼働に突っ走っています。
特に、伊方原発は閉鎖性海域である瀬戸内海に位置する国内唯一の原発であります。しかも、従来から南海トラフ、中央構造線による地震の危険性、そしてプルサーマルの危険性など多くの問題点が指摘されています。
例えば、岡村 眞・高知大学特任教授、長沢啓行・大阪大学名誉教授、小松正幸・元愛媛大学学長らが基準地震動を過小評価していると指摘し、新たな調査を求めています。
また、伊方原発2号機で使用している圧力容器の鋼材の強度不足が指摘されていることがフランスからの指摘で明らかとなりました。
そして、この12月15日に田中俊一・原子力規制委員会委員長が来県し、中村知事との意見交換の中で、「屋内退避は有効」という見解を示しました。
このように現在も、そして事故が起きた後の対応について考えると改めて原発の存在自体、そして稼働させようとすることに対して私たちは大きな危惧を抱かざるを得ません。
言うまでもなく、ひとたび伊方原発で大事故が起きれば、本県の主産業である農林水産業や風光明媚な故郷に計り知れない打撃をもたらすことは自明の理です。
県民の安全・安心を守るため、県域を越えた地域の安全・安心を守るためにも、下記の事項について申し入れを行います。
記
1.プルサーマル運転を行っていた福島第一原発の3号機における徹底した原因究明を行うことを国に求めること。
2.これまで「新たな知見に基づき対応する」としてきたが、岡村 眞・高知大学特任教授、長沢啓行・大阪大学名誉教授、小松正幸・元愛媛大学学長らの指摘を「新たな知見」として認知すべきではないか。もし、しないとすればその理由を明らかにされたい。
3.フランスからの発信で伊方原発において使用している圧力容器の鋼材の強度不足が指摘されたが、この点についての見解を示されたい。
4.田中俊一・原子力規制委員会委員長が来県し、中村知事との意見交換の中で、「屋内退避は有効」という見解を示したが、これに対する認識をお示し願いたい。
5.福島第一原発の事故処理は当初の倍を超える21.5兆円~22.6兆円と試算され、その一部を貴社が負担しなければならないなど、その試算やスキームなどについて認識をお示し願いたい。
6.伊方原発3号機のプルサーマル運転を停止させること。
7.特に核廃棄物の処理については他人事では済まされず、「国任せ」にせず、国民・県民の命と健康と生活を守るという観点から、電気事業者として責任を持って主体的に捉えること。
―以上―
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ここ数日は怒涛のような日を過ごしました。
11月17日の夜は東予港からのフェリーに乗って、奈良県橿原市の奈良県立橿原球場、ネーミングライツで言うと佐藤薬品スタジアムへ。
ここでは第2回おじいちゃんの甲子園大会の予選が開催されました。
わが新居浜ビクトリーズは四国での3試合を勝ち抜き、ここ奈良で2試合に勝てば来年の11月に行われる甲子園での大会に出場する権利を得ます。

しかし、小生は13日の練習で右ふくらはぎを痛め、歩くのもままならない状態になっていました。
そこで、頼むべきは東予鍼療所での針とお灸。
朝に夕に通って特急の治療で何とか歩けるようになり、そして、試合前にロキソニンを飲んで本番に臨みました。
初戦は地元奈良のオール高取寿チームに10:0の4回コールド勝ち。
しかし、翌日は雨で順延。
この週末に文化祭などの多くの行事があり、心の中では大きな葛藤がありましたが、甲子園がかかった試合に出ないわけにはいかず気持ちを整理して、翌日の試合に備えることに。

大きな穴が開いた19日は約30キロ離れた室生寺、そして曽爾高原を訪れ、目の保養と体の休養に。
室生寺の紅葉は見事で、まるでテレビの宣伝に出そうな光景が眼前に広がり、同行したチームメートも同様の感嘆の声。
小生が撮った写真もなかなか好評でした。
そして、宿泊は財政状況が厳しいので、ホテルでの宿泊をあきらめ天理市内の健康ランドで一夜を明かしました。
大勢がいる中で人の気配、いびき、気温などで熟睡には程遠い状態で、20日には宇陀市の室生球場で世紀の一戦を迎えました。

相手は香川県の瑞祥爛漫クラブ。
どの選手もバットが振れており、聞きしに勝る強豪チーム。
それでも笹田投手の力投で相手打線をを3安打散発に抑えて、一試合目に続いて完封。
打っては小生が膠着状態を打ち破る左中間への2ランランニングホームランで先制し、その後も幸運な1点を加えて、済んでみれば3対0の二試合完封で甲子園出場を果たしました。

試合が済んで小生のプリウス君はほかのメンバーが乗るマイクロバスとは別に一路新居浜へ。
4時間余り、約350キロを駆けて7時過ぎには帰宅。
奈良での2試合は会心の試合で、小生もそれなりの役割を果たせて一安堵。
それにしても右足が試合に間に合ってよかったですね。

早いものでもう11月となり、今年もあと2か月となりました。
祭り、祭りと言っていたのに過ぎ去ってしまいました。
祭りが済んですぐに特別委員会、常任委員会、そして24日からは常任委員会でつくばや東京への視察。
あっという間に時が流れて行ってしまいます。
10月最後の31日、マンダリンパイレーツ新居浜後援会が主催する優勝祝賀会がリーガロイヤルでありました。
愛媛マンダリンは昨年に続いて四国では優勝を収めましたが、日本一をかけた戦いでは負けてしまい、2連覇はなりませんでした。
そのマンダリンパイレーツを指導してきたのが今年3年目となる弓岡敬二郎監督。
1年目の前期が最下位の4位でしたが、それからはその指導力が発揮され、後期は2位に躍進。
そして2年目の前期が1位、後期も1位となり総合優勝。
さらに3年目の前期が1位、後期も1位で総合優勝。
つまり4期連続で優勝を果たしたことになります。
今年で13年を迎える四国アイランドリーグですが、これほどの結果を残した監督はいなかったのではないかと思います。

しかし、この弓岡監督もその実績と指導力が買われたのでしょう、今度オリックスバファローズの育成統括という人を任されることになりました。
従って、マンダリンパイレーツの監督としては今年限りとなり、11月の中頃からは新天地に赴任されることになるそうです。

弓岡監督は東洋大姫路高校出身で、小生の出身大学の関西大学の後輩で元大阪ガスの浦口君と同窓。
そんなこともあって、弓岡監督とは懇親会の席で関西弁での会話に花が咲きました。
さて、これからもその経験と指導力で若い選手の才能を十分に引き出し、開花させてほしいと思います。

今日は10月21日で、祭りが済んで3日目となります。
まだ、片付けも残っているし、反省会(総括会)なども残っているし、体自体もまだまだ日常に回帰したとは言えません。
とはいえ、世間は常に動いており、祭りがすんだ翌日にはエネルギー危機管理特別委員会があったし、昨日の20日には倫理法人会のモーニングセミナーが午前6時からあり、10時からは県庁で建設委員会があり、、夕方には憲法を守り活かす会の役員会がありました。
そして、明日は原発の関係で山口に行かなくてはなりませんし、週明けの24日~26日までは建設委員会の視察で茨城、東京へと移動します。

今年の祭りを振り返ってみると、天気予報には些か驚かされましたが、結果的には16日の朝は7時頃まで雨が残りましたが、劇的ともいうべき回復でした。
17日も朝の4時、5時頃は大雨のようでしたが、日中は暑さを感じるほどになりましたし、最終日の18日は雨の心配はありませんでした。

今年の東田太鼓台は二つの大きな野心的チャレンジをしました。
一つは太鼓倉から東臺神社まで車輪を外して担いでいきました。
野心的挑戦で、一時はどんなことになるのか心配していましたが、思った以上に人が寄ってきてくれて、15分強で事を成就させました。
まさに「案ずるより産むがやすし」でしょうか。
また、二つ目の野心的挑戦は寄せ太鼓で、16日はマルナカで、17日は山根グランドでそれぞれ下泉太鼓台と寄せ太鼓を行い、来年に10周年を迎える今年、新たな歴史的1ページを刻みました。
兎にも角にも誰もケガもなく、楽しくできたのがよかったですね。
今年4月9日の早朝に逝去された渡辺前東田太鼓台運営委員長も黄泉の地から豪快に「わははは」と喜んでくれているのではないかと思います。
改めてご冥福をお祈りいたします。

そして、いよいよ来年は東田太鼓台の購入から10周年であり、新居浜市制施行80周年。
東田太鼓台は来年の10月9日(予定)に又野太鼓台とお互いに10周年を祝うべく、又野へ里帰りをさせたいと計画をしています。
また、来年も元気で祭りができますように。

今朝の気温は久しぶりに10度台で、急に気温が下がったので、とても寒く感じ、それだけに秋の訪れを感じます。
この時期になると秋の収穫、そして秋祭りの準備が急ピッチで進みます。
太鼓台の組み立て、幟立て、寄付の懸垂幕の掲出…。
そして、小生も祭りまでに議会報告を完配しなくてはなりません。
また、今年は東田自治会館の交差点付近の街路樹も交通安全の観点から4本伐採していただき、懸垂幕の視認性が格段に向上しました。

10月9日には恒例となった東田太鼓台の「決起集会」も開催されました。
例年のように又野太鼓台さんからの参加もあり、飛び入りで松木坂井太鼓台さんからの参加もあり、夜遅くまで、賑やかに行われました。
また、この日は角野の中筋太鼓台、船木の池田太鼓台も新調お披露目。
見事な真新しい幕を見せていただきました。

そして、秋の恵みというわけで、コメも籾摺りを行いました。
今年の9月は雨が殊の外多く、その出来具合が心配されましたが、まずまずの収穫量だったみたいです。
祭りまであと5日。
16日、17日、18日と雨が降らないことを祈るばかりです。